<連載短編小説>#もう一度レストランで|「知らない食べ物」加藤千恵
2022年5月11日 00:00
たいていは、お母さんがまた何かを言って、お父さんが聞こえないふりをしておしまいになるけど、お父さんが何かを言い返したり、お母さんの言葉が止まらなくなったりすることもある。
「久しぶりだよなあ、こんなふうに美月とごはん食べるの」
「うん」
あたしは答える。本当に久しぶりだ。初めてではないと思うけど、前がいつだったのか思い出せない。
今日、お母さんと海斗は、アニメ映画を観に行っている。おねえちゃんもくればいいじゃん、と海斗は言ってたけど、海斗が好きなアニメは好きじゃない。二人は映画が終わってから、あたしたちと同じように、お店でお昼ごはんを食べているはずだ。多分ファミレスかうどん屋さんかハンバーガー屋さん。お母さんと外食するときは、三つのうちのどこかが多い。
だから今日、どっか食べに行くか、と言ったお父さんが、車に乗らずに歩き出したときはびっくりした。いつも行くお店はどこも、車でしか行けない。すぐ近くだから、とお父さんは言って、なんのお店か聞いても、秘密、としか答えてくれなかった。そしてこの、「呑み処あき」にたどり着いた。来るのも見るのも、初めてのお店だった。十分くらいしか歩いてないと思うけど、細い道をたくさん曲がったりしたし、ここから一人では帰れない。
「はい、これ、昨日の余りだからオマケ。生姜焼き、どう?」
お店の女の人(お母さんよりはきっと年上で、おばあちゃんよりはきっと年下)が、先にお父さんに、そのあとにあたしに向かって言う。おいしいです、とあたしは答えた。あらー、よかったー、と女の人が言う。
「おお、ありがとう。これはビール追加になっちゃうかもなあ」
「昼間っから、ほんとに、ねえ。ゆっくりしていってね」
女の人はそう言って、あたしたちのテーブルを離れて、またカウンターのほうに戻っていく。お客さんはあたしたち以外は今は二人だけだし、お店も広くはないけど、女の人が全部一人で料理を作ったり、運んだりしているのがすごいと思う。
「ラッキーだなあ」
嬉しそうにお父さんは言い、持ってきてもらった、青い線の入った、小さなお皿の中のものを食べて、うん、うまい、と言う。
ピンクみたいな、オレンジみたいな色。ハム?でもなんか、違う気もする。
「美月も食べるか?あん肝」
あたしがそれを見ているのに気づいてか、お父さんが言う。
「アンキモ……?」
「知らないのか、あん肝。あんこうの肝だよ。あん肝」
「食べられるの?」
アンコウは図鑑やテレビで見たことがある。あの気持ち悪い深海魚と、目の前のものが、結びつかない。キモっていうのはどこなんだろう。
「そりゃあ食べられるよ。うまいんだから。ほら」
おかしそうに笑って、お父さんは、お皿をあたしのほうに近づけた。あたしは少しだけ、それを箸でとってみる。ほろりと崩れる。口に入れてみた。
変。
最初に、そう思った。なんか変。
でも、すぐに、おいしい、と思った。温泉卵の黄身みたいな、チーズみたいな、ねっとりとした感じ。
「おいしいね」
初めて食べる「アンキモ」だった。だろ、とお父さんは言う。あたしがさっき、生姜焼きをおいしいと言ったときみたいな感じで。
そのまま少し、黙って生姜焼き定食を食べた。ついていたポテトサラダもおいしかった。
お父さんがどこかを見ているのに気づいて、見てみると、お店の高いところにテレビがあって、タワーが映っていた。スカイツリーが綺麗に見えるんですよー、とテレビの中で誰かが言う。スカイツリー。東京にあるやつだ。
「お父さんの新しい家、スカイツリー、近いの?」
質問した瞬間に、よくなかった気がした。
「久しぶりだよなあ、こんなふうに美月とごはん食べるの」
「うん」
あたしは答える。本当に久しぶりだ。初めてではないと思うけど、前がいつだったのか思い出せない。
今日、お母さんと海斗は、アニメ映画を観に行っている。おねえちゃんもくればいいじゃん、と海斗は言ってたけど、海斗が好きなアニメは好きじゃない。二人は映画が終わってから、あたしたちと同じように、お店でお昼ごはんを食べているはずだ。多分ファミレスかうどん屋さんかハンバーガー屋さん。お母さんと外食するときは、三つのうちのどこかが多い。
だから今日、どっか食べに行くか、と言ったお父さんが、車に乗らずに歩き出したときはびっくりした。いつも行くお店はどこも、車でしか行けない。すぐ近くだから、とお父さんは言って、なんのお店か聞いても、秘密、としか答えてくれなかった。そしてこの、「呑み処あき」にたどり着いた。来るのも見るのも、初めてのお店だった。十分くらいしか歩いてないと思うけど、細い道をたくさん曲がったりしたし、ここから一人では帰れない。
「はい、これ、昨日の余りだからオマケ。生姜焼き、どう?」
お店の女の人(お母さんよりはきっと年上で、おばあちゃんよりはきっと年下)が、先にお父さんに、そのあとにあたしに向かって言う。おいしいです、とあたしは答えた。あらー、よかったー、と女の人が言う。
「おお、ありがとう。これはビール追加になっちゃうかもなあ」
「昼間っから、ほんとに、ねえ。ゆっくりしていってね」
女の人はそう言って、あたしたちのテーブルを離れて、またカウンターのほうに戻っていく。お客さんはあたしたち以外は今は二人だけだし、お店も広くはないけど、女の人が全部一人で料理を作ったり、運んだりしているのがすごいと思う。
「ラッキーだなあ」
嬉しそうにお父さんは言い、持ってきてもらった、青い線の入った、小さなお皿の中のものを食べて、うん、うまい、と言う。
ピンクみたいな、オレンジみたいな色。ハム?でもなんか、違う気もする。
「美月も食べるか?あん肝」
あたしがそれを見ているのに気づいてか、お父さんが言う。
「アンキモ……?」
「知らないのか、あん肝。あんこうの肝だよ。あん肝」
「食べられるの?」
アンコウは図鑑やテレビで見たことがある。あの気持ち悪い深海魚と、目の前のものが、結びつかない。キモっていうのはどこなんだろう。
「そりゃあ食べられるよ。うまいんだから。ほら」
おかしそうに笑って、お父さんは、お皿をあたしのほうに近づけた。あたしは少しだけ、それを箸でとってみる。ほろりと崩れる。口に入れてみた。
変。
最初に、そう思った。なんか変。
でも、すぐに、おいしい、と思った。温泉卵の黄身みたいな、チーズみたいな、ねっとりとした感じ。
「おいしいね」
初めて食べる「アンキモ」だった。だろ、とお父さんは言う。あたしがさっき、生姜焼きをおいしいと言ったときみたいな感じで。
そのまま少し、黙って生姜焼き定食を食べた。ついていたポテトサラダもおいしかった。
お父さんがどこかを見ているのに気づいて、見てみると、お店の高いところにテレビがあって、タワーが映っていた。スカイツリーが綺麗に見えるんですよー、とテレビの中で誰かが言う。スカイツリー。東京にあるやつだ。
質問した瞬間に、よくなかった気がした。
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