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<連載短編小説>#もう一度レストランで|「知らない食べ物」加藤千恵

新しい家のことは、言っちゃダメな気がする。
でもお父さんは、全然よくない感じではなく、普通に言った。
「いや、近くないな。ナカノだから」
ナカノ、がどこにあるのか、あたしにはわからない。あたしも一歳のときに東京に行ったことがあるらしい。でももう、十年近く前だし、赤ちゃんのときだからおぼえてない。ただ、「カミナリモン」の前で、お母さんに抱っこされたあたしが写っている写真は、何回も見たからおぼえている。あれはきっと、お父さんが撮ったのだ。海斗もまだ生まれていなかった頃の、三人の旅行。
「お父さん」
「どした?」
柔らかい声で、お父さんは答える。
リコンなんてしないで。
東京なんて行かないで。
あたしも一ヶ月のうち、一週間くらいは、東京でお父さんと暮らしたい。
浮かぶことはいっぱいあったけど、どれを言っても、お父さんを困らせてしまいそうな気がした。だから言えない。言うことなんてできない。
「アンキモって、おいしいんだね」
あたしは言った。浮かんだことたちとはまるで違う。でも、おいしいと思ったのは本当だから、嘘じゃない。
「美月は酒好きになるかもなあ。いつか一緒に飲もうな。ほら、まだあるの食べな」
お父さんはそう言って笑った。約束だよ、と言いたくなったけど、お酒を飲んだお父さんは、すぐに話したことを忘れてしまう。あたしはちゃんとおぼえていようと思った。おぼえていて、きちんとかなえてもらわなくちゃいけないと、そう思った。
アンキモを箸でとって、口に入れる。やっぱりおいしかった。初めてアンキモを食べたことは、お母さんにも海斗にも、内緒にしようと心に決める。

著者プロフィール


加藤千恵
歌人・小説家。
次ページ :  1983年北海道旭川市生。立教大学文学部日本文学科出身。短… >>
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