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<連載短編小説>#もう一度レストランで|「焼肉」宇垣美里

この店に来るのは三度目だ。私が希望する部署に配属が決まった時と、藍に彼氏ができた時、そして今日。
牛脂を塗り足らなかったのか、少し前に乗せたばかりの肉が網にぴったり張り付いてなかなか離れない。
「海外にでも行こっかな?ほら、カナダとか。」
めりめりと引きはがそうとした途端に端からぺりりと裂けた。ああもう、肉一つ上手に焼くことができない。沈黙は私の落ち度のようにしか思えなくて、どんどんと口が回る。
「まあ、私ぐらいビッグになるとさー会社員には収らないよねー。」
回し車の中でどこかを目指して必死に駆けるハムスターの見る景色って、こんな感じなのかもしれない。盛り合わせで頼んだホルモンを言い訳するように次から次へと網へ乗せる。マルチョウ、ハツ、テッチャン、上ミノ、ツラミ。網に乗ったそばからじゅうじゅうと音をたて、あっという間に小さな網は肉でいっぱいになった。
私はこれからレールを外れる、それを知られるのが怖い。ふつうじゃなくなるのが怖い。
あんなに応援してもらったのに、あんなに頑張って入った会社だったのに。

ツラミ、が牛の顔の肉なのだと教えてくれたのは直属の上司だった。入社当初から面倒を見てもらい、育て可愛がってもらっていたその人を尊敬していた。なのに、園子がちょっとした賞を獲ったことは、彼の中で裏切り行為に当たったようだった。矢継ぎ早に飛んでくる怒鳴り声に委縮し、何をしても否定されることに疲弊し、丁寧なほど細かな嫌味に自尊心を削られた。ある朝、どうしても布団が重くて起き上がれなくて、もう全部やめることにした。

「まあこれも全部ネタになると思えばさー」
ははは、と笑おうとしたのに、浮き輪をつぶすときのような音が漏れる。全然思った通りの場所に口が動かない。さぞ情けない顔をしていることだろう。脂の爆ぜる音ばかりが響く。壁の奥から聞こえる若い男女の笑い声が、頭の中まで入ってきて柔らかな脳みそをめちゃくちゃに削り取る。逃げるんだ、ウケルー。

「もう笑わんでええんちゃうんかなあ」
そう口を開くと猛然とトングを構え、親の仇みたいに肉を網に押し付けてからひっくり返し、またひっくり返しする藍の目は燃えていた。穏やかな口調とは裏腹にぼろぼろと溢れ出す涙の粒に炭火が爆ぜる。
「全部笑って冗談みたいにコメディにして」
テッチャンの皮は少し焦げて油がぶくぶくと泡を立てている。
「それで楽になるんかなって思ってたから黙って笑ってきた。」
ミノやツラミから垂れたタレが焦げ広がり網を黒く浸食する。
「実際まあ笑えばなんとかなってたみたいやし」
ハツに入った格子模様の焼き目が美しい。
「でもそんなん全部まちがってたんやわ」
突如網から火柱が上がり、熱波が肌をさらう。藍はレモンサワーの中から氷を取り出し、ぽんと網の上に放った。
「怒るべきやってん」
ぐりぐりと網の上を踊らされ、炎を殺して瞬時に溶けていく氷から立ち上る、まっしろなけむり。
「何があんたから仕事を奪ったん?ゆるせへん」


全部笑って、笑ってもらって、どうにかネタにしてきたのに。
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